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臨済宗永源寺派

 

一王山 十善寺縁起


 当山は後冷泉天皇の御宇、天喜五年(一〇五七年)に信覚大師の手によって創建されたもので往時には七十三の僧房と七堂伽藍を擁し、又、景勝の地の利も得て、まことに壮観であったと伝えられています。 その後、兵火に遭遇し、総てを灰儘に帰するところとなりましたが、禅宗の高僧、宇光寂室禅師はこれをたいそう惜しまれ、諸堂や十三院を造営されました。
 ところが、天正年中(一五七三~九二)織田信長の兵火でまた堂宇は焼失の憂き目にあい現在の寺観は、元禄の高僧、永源寺・仙霊祖竺禅師の志を継いだ、高羽の楠本三左衛門高重によって寛文五年(一六六五年)に再建され、宝暦十一年(一七六一年)に呑海禅師が来てから完成されたものであります。御本尊には十一面千手観音菩薩を安置し、脇仏として弘法大師を、又、諸天皇を祠っております。
  最初の兵火と伝えられるのは、元弘三年(一三三三年)赤松円心(則村)が播磨国から攻め上がり摩耶山城によって京都の北条軍を悩ました時で、円心が十善寺を戦いに利用したため、この地方は戦場となり寺が焼かれたのであります。それ以後、寺はもとの地(六甲ケーブル山頂駅東南、油コブシ付近)から現在の地へ 移ったと言われています。
 一王山と言う山号は、もと寺の南の地名であった一の尾から由来しています。この一の尾を一の王にとって山号とし「王は十善、神は九善」という所から寺号を十善寺と称しました。
 背山には八十八ヶ所の霊場があり、毎月二十一日にはお大師様の日としてお供養しております。

合掌

一王山 十善寺

境内には「一王山登山会」の会館があります。登山会は、1936年(昭和11年)発足。60代~90代の約400人の方が入っているそうです。十善寺までの参道を登る「毎日登山」の回数を記帳したり、朝6時、7時などに50~100人ほどが集まってラジオ体操をしたり、会館で詩吟などの同好会を開いたりされています。

十善寺 登山会館
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